創業者 浅野總一郎 略年譜 (敬称略) 参考:「その男、はかりしれず」著:新田 純子


和暦
西暦
年齢
主な出来事
嘉永元年
1848
0
越中国氷見郡薮田村の医師の家に長男に生まれる。幼名は泰治郎。
嘉永6年
1853
5
姉夫婦が家業を継いだ為、氷見の町医者宮崎南禎(叔母夫婦)の養子となる。
1853年:ペリー来航
文久2年
1862
14
養家を離縁して生家に戻る。
文久3年
1863
15
縮機業・醤油醸造業を始めるも失敗
元治元年
1864
16
親類縁者から250両を集め氷見針を行商しながら京都へ稲扱き機仕入れに行く。稲扱き機を農家に貸し出すも当年凶作で貸付金回収できず百両の損失。
慶応2年
1866
18
大野村の豪農、鎌仲惣右衛門の婿養子となる。惣一郎と改名。
慶応3年
1867
19
筵(むしろ)を扱う産物会社を設立(日本初の会社組織)
1867年:大政奉還
明治元年
1868
20
維新の動乱の中、産物会社破綻。鎌仲家と離縁。
1868年:明治維新
明治3年
1870
22
「浅野蓆商」の看板を掲げ能州地酒・高岡火鉢・越後の五穀・北海道の鮭など事業拡大。資金不足から高利の借金、破綻。
明治4年
1871
23
夜逃げ同然で故郷を逃げ上京 お茶の水で水売りを始め、竹の皮商から薪炭商へ転じコークスの売り込みに成功
明治5年
1872
24
サク(佐久)鈴木長右衛門の孫と結婚
1872年:新橋・横浜間に鉄道開通(鶴見駅開業)
明治6年
1873
25
横浜で薪炭商「大塚屋」の看板を掲げ石炭販売開始
明治7年
1874
26
石炭商専業となる
明治8年
1875
27
横浜瓦斯局からコールタール販売を受託
明治9年
1876
28
渋沢栄一の知遇を得る。甥の大川平三郎と出会う
明治12年
1879
31
横浜市内に西洋式公衆便所を63か所設置
明治17年
1884
36
官営深川セメント製造所を払い下げ受け浅野工場と命名。
明治18年
1885
37
安田・渋沢らと東京ガス局払い下げを受け東京ガス会社設立
明治20年
1887
39
匿名組合浅野回漕店設立
明治25年
1892
44
白石元治郎 浅野商店入社
1894年:日清戦争
明治29年
1896
48
「東洋汽船」設立
欧米視察
明治41年
1908
60
「鶴見埋立組合」設立/鶴見・川崎地先150万坪埋立を神奈川県庁に出願
1904年:日露戦争
明治43年
1910
62
三田に紫雲閣完成
1910年:韓国併合(大韓帝国)。大逆事件(足尾銅山鉱毒事件他)
明治45年
1912
64
日本鋼管創立(初代社長 白石元治郎)
大正2年
1913
65
鶴見・川崎地先海面埋立事業許可され着工
大正3年
1914
66
「鶴見埋立」設立
1914年:第一次世界大戦〜18
大正5年
1916
68
横浜造船所設立(大正6年浅野造船所改称)
大正9年
1920
72
浅野綜合中学校設立
大正13年
1924
76
「鶴見臨港鐵道」創業
大正15年
1926
78
鶴見臨港鐵道開業(浜川崎・弁天橋間、大川支線・安善町支線/貨物輸送
東洋汽船旅客船部門を日本郵船に譲渡
昭和3年
1928
80
埋立事業完成
群馬に東洋一の発電所完成(佐久発電所)
昭和5年
1930
82
欧米視察。ベルリンで発病。8月2日帰国
1929年:世界恐慌 10月24日暗黒の木曜日
同年

82
11月9日浅野 總一郎逝去。戒名:積功院殿偉業総成大居士