鉄道事業の発展と国有化




大正15年3月 大正15年3月、浜川崎〜弁天間及び安善〜大川間が貨物専業鉄道として開業しました。 その後も、安善〜石油間、浜川崎〜扇町間が相次いで完成し、更に昭和5年10月には、弁天橋〜鶴見間が完成により全線電化が完了し、旅客輸送も開始しました。 

尚、旅客運輸免許認可の前提条件として、鉄道省の要望により、川崎大師〜鶴見総持寺間の海岸軌道9.5Kを買収
昭和5年5月 昭和5年5月から営業を開始しました
昭和12年11月 昭和12年11月に廃止となりました。
昭和15年10月  その後も、路線を延長し、昭和15年10月の浅野〜海芝浦間の営業開始により、営業路線総延長距離は12.1Kとなりました。
昭和18年 更に、昭和18年には、浜川崎〜大森間及び鶴見〜矢向間の鉄道新線敷設免許を保有し、南部鉄道との接続計画を策定する等、当時の鉄道事業は、益々発展の機運にありました。

 鉄道路線開業当時は、その殆どが埋立地であったため、沿線には地名がついていませんでした。 そこで、、幾つかの新駅に設立発起人等に因んだ名をつけています。
国 道 駅  第一京浜(国道15号線)に隣接
鶴見小野駅  地元の大地主小野信行の「小野」
浅 野 駅 創始者浅野総一郎の「浅野」
安 善 駅 財界の大立者安田善次郎の姓から「安」を、名から「善」
武蔵白石駅 日本鋼管初代社長白石元治郎から「白石」
大 川 駅 富士製紙、王子製紙社長大川平八郎の「大川」
扇 町 駅  創始者浅野総一郎の家紋「扇」

昭和18年7月 第二次世界大戦の最中の昭和18年7月、国家総動員法が発令され、弊社の営業全線が国によって強制買収され、鉄道省鶴見線と改称されました。
昭和24年 戦後間もない、昭和24年には、弊社が主唱し、同じ境遇にあった被買収鉄道会社各社に働きかけ、各社と連合して「被買収鉄道還元同盟会」を結成。国会で鉄道還元法案が審議され、衆議院で可決されましたが、参議院で審議未了となりました。
昭和26年 次いで、昭和26年に再上程されましたが、前回同様審議未了となり、鉄道還元運動は終息せざるを得ない情勢となりました。