鉄道事業の拡大と苦悩 (敬称略)


創業から昭和18年5月末決算に至る貨客売上高推移(半期決算) 出展:営業報告書



大正14年03月05日
 第1期線の工事着手.。
大正15年3月10日
 濱川崎〜辨天橋間及び安善〜大川間が貨物専業鉄道として開業。 その後も、安善〜石油間、浜川崎〜扇町間が相次いで完成し、更に昭和5年10月28日には、弁天橋〜仮鶴見間が完成。これにより全線電化が完了し、旅客輸送も開始しました。 
昭和4年6月13日
 重役会決議録「金融に関する件」によれば、営業開始して間もない当時の払込済株金は180万円。それまでの鐵道線建設費総額は354万円余(未開業線を含む)。よく考えれば170万円余は別途調達しないと貸借が合いません。特に借入金の表示もない。実は相当額が支払手形の名目で記載があり、適当な時期に鉄道財団を設定する約束で経営者(浅野・大川・岩原各氏)の個人保証で銀行から融通を受けていたようです(※現在価値で30億円ほどか)。 
先行する鐵道投資額を出資者からの株金(資本金)ですべて賄えるはずもなく、銀行からの借入には担保か保証が必要で、設立当初から資金繰りには苦労していたと思われますが、そこは経営者の資本力と信頼関係の絆が苦境を支えたものと思われます。
昭和5年4月21日
 旅客運輸免許認可の前提条件として、鉄道省の要望により、川崎大師〜鶴見総持寺間の海岸電気軌道(京濱電鉄且q会社)9.5kmを合併しました。
※海岸電気軌道鰍フ合併により鶴見線の旅客輸送が可能となり、大森線免許取得への道が開けましたが同社の不採算と開業軌道敷設の際の負債を引き継ぐこととなり、この後鶴見臨港鐵道の経営に重くのしかかることになります。
【合併時の海岸電気軌道鰍フ経営数値】
払込済資本金150万円、軌道建設費207万円余、繰越欠損金35万円余。
京濱電鉄鰍ゥらの借入193万円(※現在価値で30億円余りか)。
昭和5年11月9日
 創業者初代社長 浅野 總一郎逝去
昭和7年6月10日
 芝浦支線を芝浦製作所から買収し、6月10日より運輸開始。
昭和9年12月23日
 鶴見駅連絡工事は12月22日竣工、23日より連絡運輸開始。
昭和10年11月29日
 鶴見河口支線運輸開始(11.5km)
昭和12年11月30日
 海岸軌道線は、昭和12年11月30日に廃止。
昭和15年10月
 芝浦支線延長工事を昭和15年1月着手し10月下旬竣工。
新芝浦〜海芝浦間の営業開始により、営業路線総延長距離は12.4kmとなりました。
昭和18年
 昭和18年には、濱川崎〜大森間及び鶴見〜矢向間の鉄道新線敷設免許を保有しており、南部鉄道との接続計画を策定する等、当時の鉄道事業は、益々発展の機運にはあるように見受けられました。
昭和18年7月1日
 第二次世界大戦の最中、昭和18年7月、国家総動員法が発令され、弊社の営業全線が国によって強制買収され、鉄道省鶴見線と改称されました。対価は16,896,808円19銭の登録公債(※現在価値で100億円余りか)。



 ※ 現在価値の推計方法は諸案ありますが、消費者物価指数を元に参考値を推計したものです。