不動産事業への転換


昭和18年7月  昭和18年7月の全線国有化に伴い、主要な営業種目であった鉄道事業からの撤退せざるを得なくなり、弊社の収入高も約5分の1に大幅な減収となりました。                     
昭和18年11月 時代の流れに翻弄されつつも、弊社は、同年11月、「収入源は交付国債利息他雑収入のみで、今後会社経営を為すものとす。」との経営基本方針を立てました。
昭和31年頃 昭和31年頃には、ビニール塗料原料や高圧水銀灯の販売も手懸けていました。 
昭和34年頃 昭和34年頃になって、戦前から所有していた新線軌道用地で現在のJR鶴見駅西口に隣接する社有地を活用した「臨港ビル計画」が浮上しました。
昭和43年10月 昭和43年10月、鶴見駅西口市街地改造事業が都市計画として決定
昭和60年9月 昭和60年9月に工事完了公告となりましたが、弊社も昭和60年10月に念願の鶴見西口駅ビル「ミナールビル」が竣工し、ビル賃貸事業への本格的な進出を果たすことができました。
平成6年2月 次いで、平成6年2月、ワンルーム型マンション「東亜ハーモニー鶴見寮」を竣工し、共同住宅賃貸事業へも進出しました。 
平成24年8月 そして、平成24年8月、同じくワンルーム+事務所併設の「鶴見四季彩」が竣工し、今後の賃貸事業の柱の一つとして期待しています。